以前は、過去の女性天皇は所詮「中継ぎ」に過ぎなかった、
という見方があった。
しかし、一概にそのように断定する考え方は、学問的には
既に否定されている。
近刊の中から一例を紹介する。「明治政府は皇室典範を制定して女性皇族の即位を否定した。この際、過去に存在した女帝は中継ぎにすぎないと規定することで、女性天皇排除を正当化したのである。明治民法が女子よりも男子を、妻よりも夫の権利を優先したため、男尊女卑的な価値観が社会に浸透したことも、女帝中継ぎ論を後押しした。だが、現実の歴史を見ると、女性天皇は自身の政治的意思を
発揮し、大きな権力を行使している。
遣隋使を派遣した推古天皇もそうだし、律令国家の基礎を
築いた持統天皇もそうだ。
女性天皇は必ずしも中継ぎではなくて、むしろ男性の天皇と
対等の存在であったということが明らかにされた。
古代の双系制社会を知ることは、現在の女性天皇・女系天皇問題
を考える上でも必要だろう」
(呉座勇一氏、令和元年2月)少し付け加えると、推古天皇が即位された段階では、
未だご譲位の慣行は存在しない。
望ましいタイミングで、望ましい相手に、皇位を譲り渡す
という選択肢自体が存在しなかった。
従って、原理的に「中継ぎ」ではあり得ない(加えて、旧説で
当時の有力な継承候補者と錯覚されていた皇族は、その頃の
実例に照らして、年齢的に対象者たり得ないはずだった)。持統天皇の場合は、天武天皇の後継者たるべき我が子、
草壁皇子が早く亡くなったので、孫(後の文武天皇)の即位に
道筋をつける為に、自ら能動的・主体的に即位された。
一般的な「中継ぎ」のイメージとはかけ離れている。ちなみに、現代まで維持されている、「天皇」という君主の
称号は推古天皇の時代、「日本」という国号は持統天皇の時代に、
それぞれの定められた可能性が最も高いだろう。
なお、近年の研究では、女性天皇でも「中継ぎ」でなかった
ケースがある一方、男性天皇の場合にも「中継ぎ」としての
即位があったと見られている。【高森明勅公式サイト】
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